開運橋は、もともと当時の石井県令(知事)の私費で建設され、通行する人から1回1銭を徴収していたそうで、「名づけ親」の元日銀・盛岡事務所長、古江氏はその事実を聞いた時「往復で2度お金を払わされ、庶民が二度泣く橋」と感じたことからその名前を思いついたということ。永川きよしの「二度泣き橋♪」を聴きながら、南部片富士・岩手山を眺め、北上川の流れを感じ、散策してみてはいかがですか?